青春のギャラリー 1 |
堀 六平と「わさびーず」の存在の意味と価値
「わさびーず」の音楽活動と、昭和30年から40年頃の音楽事情
当時の社会と音楽事情 |
青春のギャラリー 2 |
初代わさびーず
田舎のスター「わさびーず」
アメリカンフォークソングとの出逢い |
青春のギャラリー 3 |
わさびーず21日本のフォークソングは童謡唱歌
アメリカの元々のフォークの精神とよく似ている日本の童謡唱歌 |
青春のギャラリー 4 |
過去の栄光に酔いしれてばかりいられない番組出演(海外研修) |
過去の栄光に酔いしれてばかりいられない
現場主義で制作では現場の音を何時も放送した
フォークソング運動の重要な項目に世の中の人々にふれあうということがある。
いままで六平の関わってきた番組は、出演も制作も合わせると2000本以上になる。
六平は生産現場に立ち現場の声を録音して、食料生産者の思い、食べ物その物のこと、食育のあり方、農業不安、農政問題などを常に真剣に分かりやす伝えてきた。時には辛口で論じ、視聴者からの反論を寄せられることもあったが、確たる理論に裏付けられた放送の反響は大きく特に生産者たちからは多くの支持を受けてきた。
信州は日本有数の食料生産地である。その姿を今後もまだまだ伝えていきたいと思っている。
番組出演
現場主義で制作では現場の音を何時も放送した
フォークソング運動の重要な項目に世の中の人々にふれあうということがある。
いままで六平の関わってきた番組は、出演も制作も合わせると2000本以上になる。
六平は生産現場に立ち現場の声を録音して、食料生産者の思い、食べ物その物のこと、食育のあり方、農業不安、農政問題などを常に真剣に分かりやす伝えてきた。時には辛口で論じ、視聴者からの反論を寄せられることもあったが、確たる理論に裏付けられた放送の反響は大きく特に生産者たちからは多くの支持を受けてきた。
信州は日本有数の食料生産地である。その姿を今後もまだまだ伝えていきたいと思っている。
(海外研修)
アメリカのフォークソングの原点が知りたくなって、まだレートの高かった時に東海岸のニューヨークに渡った。その大都会はイーストリバーと、グレートハドソン川の中のマンハッタン島あった。
20日ばかりの滞在であったが、ブロードウエイやラジオシティでキャッツやジョンデンバーを聞いた。アメリカは東西南北それぞれで文化が違うから面白い。
西海岸のハリウッドのライブでは現地の人の中で、我等の創作田舎歌を歌って大喝采を浴びたこともあった。そして南部のニューオリンズではデキシーランドジャスに酔いしれた。毎年4月の終わりから5月の初めにかけてヘリテージ・フェスティバルが開催される。六平はすっかりこの亜熱帯の町の虜になってしまった。町の至るところジャズ、バーボンストリートのライブ街、プリザベーションホール、エリスマリサリスのライブ、ピートファウンテンのシアター などがあり、バーボンウイスキー、デキシービール、そしてジャズで毎晩酔っぱらっていた。
アリーナで聞いたBBキングの泣くようなギターやアルグリーンの歌に魅了され、ホテルに帰る道さえ忘れて彷徨ったこともあった。
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