かわせみ(川蝉だより)Vol.10 2010年1月発行 特別版 
ええっ‥我が国の食料自給率は70%もあるって本当かな!!



本当はよく知らない食料自給率とは一体何?

 食料の自給率とは、その国の食料消費がどの程度、自国の生産でまかなえているかを示しており、我が国の食料需給のあり方を考える上でも大切な指標である。通常、「我が国の食料自給率」として使用しているものは、カロリーベースの食料自給率(供給熱量総合食料自給率)で、これは食料が生命と健康の維持に欠くことはできない。もっとも基礎的で重要な物資であることから、その基礎的な栄養価であるエネルギー(カロリー)が、国産でどれくらい確保できているかという点に着目しているためだ。カロリーベースの食料自給率は、国民に供給されている食料の全熱量合計のうち、国産でまかなわれた熱量の割合を示している。ただし、国内の畜産物については飼料自給率をかみし、輸入飼料による供給熱量分を控除している。
 カロリーベースの食料自給率では、野菜や果実について同じ重量であっても米や芋など、ほかの食料に比べてカロリーが低いことから、その需給動向が反映されにくい上、生産するために投下した労働など生産活動の結果を必ずしも捉えることができない。このため、これらの経済的価値を評価する観点から生産額ベースの食料自給率を知りたいところだ。また国内の畜産物及び加工食品については、輸入飼料及び輸入食品原料の額を国内生産額から控除して表示されている。

私たちが知っておかなくてはならないこと
「食料自給率40%」の虚構のシナリオ

 日本の食糧自給率が低いという議論が盛んに展開されているが、果たして本当にそうなのだろうか。
 食料研究の学者達は、政府の宣伝文句に何の疑いも持たず、受け売りだけの報道しているマスコミに対して苦言を呈している。確かに官僚が作る「食料自給率40%」の虚構を見抜けない不勉強さは目に余るものがある。政府もこういった報道に影響され、食糧自給率を問題にしているようだが、事実をしっかり見ておく必要がある。
 食糧自給率40%というのは、あくまでも「カロリーベース」の話である。例えば、鶏卵の96%は日本で生産されているが、カロリーベースで計算された食糧自給率ではわずか9%となる。ここから更に自給率を上げるとなれば、外国産の飼料に頼らず国内で生産するほか手立てがない。「食糧自給率をどのように考えるか?」。ご存知の通り、日本の食糧自給率を引き下げている大きな原因は飼料のほとんどを海外に依存しているからで、実質生産量を仕分けしてみれば、主食では60%と比較的高いが輸入飼料を含め、重量で計算されると27%といった低い率になってしまう。
いくら世界の穀物が高騰してきたとはいえ、主食用の米、小麦やトウモロコシなどとは価格が違う。私たちが日頃口にしている牛肉や豚肉などの飼料とは扱いも付加価値も違ってくる、従って生産額での自給率も併せて見ていかなくてはならない。
 平成15年の食糧自給率は70%という高い数値だった。重量でも、国内で消費されている牛肉の39%が日本で育てたものである。ところがカロリーベースで算出してみるとわずか10%に過ぎない。こういったことから食糧自給率の問題の本質は、飼料を国内で調達できるかが重要なポイントとなる。


対策
 今後の対策を考えてみると、まずは飼料の国産化だが、これには減反政策の見直しが必要となる。次に、農業組織のあり方や、流通システムの見直しをしないと実現できない。農業経営の近代化と産業化、何より消費者とのパイプをいかに合理的につなぐかである。すでに一部では、トレイサビリティなどが動き出しているが、製造から販売までの一貫したプログラムの構築は重要なポイントとなる。
 「道の駅」などでは産地の直接販売が急増している。そういったところにもヒントはあるが、、それだけでは大消費地の都市部には届かない。もちろん農産物の生産性を上げるかは大きな課題であるが、その一方では「食料の廃棄」もされているのも現状だ。形の整わない野菜(アウトレット物)は加工用にまわすなど、我が国にまだ残っている「もったいない」精神を最大限に活かして、収穫したものすべてを利用するシステムプログラムの考慮も重要である。

正しい情報を
 日本のマスメディアは「公衆の番犬」ならぬ「既得権益の番犬」か?とある評論家は吠えた。ジャーナリストがメディアについて語るとき、しばしば持ち出すのが「公共圏」という概念だ。これは個人の私的な領域を超えた共通の関心事項について、言論や意見を交換する社会的な共通空間のことで、ドイツの哲学者J・ハーバーマスが提唱した。西欧の初期市民社会において、コーヒーハウス、カフェやサロン、あるいは読書会などを介して「文芸的公共圏」が形成された。それが公権力批判機能を持つ新聞や雑誌、あるいは政治的結社などの「政治的公共圏」に発展したといわれており、マスメディアの役割は「公衆の番犬」(国家を監視する機能)だとメディアにいる人たちは公言している。
確かに公共圏の存在と維持は重要だ。ジャーナリストの大きな役割は「公衆の番犬」であることも間違いない。しかし、そのことと現代の日本の報道機関が現実にその役割を果たしているかは大いに疑問である。なぜなら政府の宣伝文句に疑いを持つこともなく、そのままを報道しているだけで、むしろ政府のプロパガンダの伝達役でしかないことが多い。番犬どころか、これは大問題で特に経済政策に関する情報は、よくよく正確に伝えて欲しいものだ。

農業者も消費者も澄んだ目で
 前述のように生産額ベースでの現在の国内自給率は70%程度である。自給率の引上げだけが目的なら、パン食をやめ米を食べ、飼料は国産すれば良いが、そうなれば食生活は貧しくなり、肉や牛乳のコストは著しく上がる。穀物価格の高騰が続けば、「食べものが手に入らなくなる」と煽る人も出てくる。現在の主な穀物輸出国では自由主義経済体制の下、農民がコマーシャルベースで生産を行なっている。仮に輸出国の政府が戦略的輸出制限を続けるようなことがあれば、困るのは輸出国の農民たちである。農業者も消費者も澄んだ目で情報えお得て、深く分析すべきである。