2010年1月23日 松本市民芸術館にて活動40周年の記念イベントを開催しました


このイベントには多くのゲストの方々に出演していただきました。
今回ご出演の方々のプロフィールをご紹介いたします。


堀 六平とわさびーずフォーエバー  詳しくはこちらをご覧ください。


堀 六平&ソロプロジェクト

は、2001年から「わさびーず21」のバックアップミュージシャンとして参加しているメンバーです。

サリー佐藤(ベース、編曲、バンドリーダー)
1950年新潟県生まれ。ロックグループサウンズ「バニーズ」に参加。その後、「田畑貞一とポイントアフター」、「松本英彦グループ」、「ボニージャックス」、「中村達也」、「ハンニバル・M・ピーターソン」、「ジョン・ヒックス」などのビックアーティストと共演するベテラン・ベーシスト。現在は、オールマイティなソロベースプレイヤーとして、横浜のライブハウスを中心に数多くのステージで活躍中。横浜で「Freak音楽塾」を開校、新人の発掘・育成に力を注いでいる。

岡 延行(ギター)
1948年横浜生まれ。1967年から2年間、ジャズギターの鈴木泰充氏に師事し、ジャズギターと理論を学ぶ。1970年、アルトサックスの林栄一グループでプロデビュー。都内ライブハウスで活躍。後にハモンド・オルガンの川崎泰紀とトリオを組み、1985年、『インプロンプトウ/川崎泰 紀』でレコードデビュー(キングレコード)。フランスのニースで主催された日本文化祭に招かれる。このトリオで日本各地でコンサートやライブハウスに多数出演。渡辺プロダクションの専属ギタリストとしても、多くの伴奏を努める。現在はサリー・佐藤等とフュージョンバンドを組み、ジャンルを問わず幅広い演奏活動行うと共に、横浜ジャム音楽学院で後進の指導にあたる。

田口 眞(ピアノ、キーボード)
長野市出身。1983年にプロとして活動スタート。1989年、日本テレビ専属バンド「ガッシュアウト」に参加。「歌のトップテン」、「24時間テレビ」等で演奏。後に「菅原やすのり」、「香西かおり」、「城之内早苗」、「加藤紀子」、「大事MANブラザーズバンド」、「高橋由美子」などのコンサートツアーに参加。1999年に、「モーニング娘。99年全国ツアー」に参加。「狩人」、「ナオミ・グレース」、元フィンガー・ファイブの「T.AKIRA」など多くのアーティストのツアーやレコーディングで活躍中。

片山有冶(フルート)
都立小石川高校卒、信州大学心理学専攻卒。父、片山治夫(日フィル首席奏者)よりヴァイオリンを、中川昌巳・斎藤賀雄よりフルートを師事。第2回日本ケーブルテレビ歌謡大賞信越大会優勝。東映第2回カラオケグランプリ準グランプリ受賞。1998年長野オリンピックで、わさびーず「白い大地から」に参加。現在、ポップスからクラシックまで幅広いジャンルの演奏活動をしており、ポップスユニット「レフォールドーナツクラブバンド」のオリジナル曲「空美」は東京FMでも紹介され好評。

片山美和(ヴァイオリン)
尚美音楽短期大学卒業。同研究科修了。佐治薫子、片山治夫、Hクレパース、Gイライアス各師に師事。キターラ弦楽アンサンブル他、コンサートマスターとしてヨーロッパ演奏旅行に参加。元 尚美オーケストラ、尚美学園大学こども音楽教室講師。クラシック以外では、リチャード・カーペンターの日本公演や羽田健太郎、村下孝蔵などのツアーに参加。また、宇多田ヒカルのアルバム「HEART STATION」のレコーディングにも参加。現在は、東京ソロイスツ室内合奏団等で演奏活動中。


中野祐次(ドラムス)
塩尻市出身。20歳で上京後、ジョージ大塚氏にドラムを師事。 栗田八郎、松本英彦、辛島文雄、板橋文雄、今田勝など色々なグループとのセッションを経て、自己のバンド「impressions」にて、2001年に「FOREVER」、2008年には「COUCH・POTATO」のアルバムをリリース。そのほか様々なバンドのレコーディングに参加。ヤマハPMS(ポピュラーミュージックスクール)の講師 として活躍中。

鈴木敏幸(ギター)
尚美高等音楽学院(現、尚美学園大学)修了後、武蔵野音楽学院にて、宮ノ上貴昭氏にジャズギターを師事。ジャズドラマーのエルヴィン・ジョーンズ等多数のミュージシャンと共演。また「ボニージャックス」をはじめ、多くのアーティストのバックバンドを務める。現在は、横浜や東京等を中心に幅広く音楽活動を続けており、ライブハウスでは、自分のバンドで活躍中。

宮坂タイヘイ・山田マモ(コーラス)
こちらのご両人は、堀 六平の長年の友人。数多い知人の中でも、六平が特にその歌声に惚れ込んで、コーラスをお願いしました。



特別ゲスト




早稲田大学グリークラブ出身者を中心に
西脇久夫(にしわきひさお) トップテナー
宮城県塩竃市生まれ
吉田秀行(よしだひでゆき) セカンドテナー
埼玉県鳩山町生まれ 
鹿島武臣(かしまたけおみ) バリトン
京都府舞鶴市生まれ
玉田元康(たまだもとやす) バス
旧満州安東市生まれ
ボニージャックス

1958年(昭33年)早稲田大学を卒業したグリークラブ出身の4人(西脇久夫、大町正人、鹿島武臣、玉田元康、現在は大町に代わって2003年より吉田秀行が加入)は、作曲家・故磯部俶(いそべとし)氏より「ボニージャックス」と名付けられ、コーラス・グループを結成しました。ボニージャックスのレパートリーは、世界各国の民謡、歌曲、黒人霊歌、ジャズ、ポピュラーナンバーなど、非常に幅広く5,000曲以上のコーラスアレンジ楽譜を保持しています。そして常にその中心として歌い続けてきた日本歌曲、抒情歌、民謡、子供の歌では、とりわけ高い評価を受けております。ボニージャックストーンと呼ばれる美しいハーモニーと清潔で明快な歌い方は聞く人の心をなごませ豊かにしてくれます。2008年、結成50周年を迎え全国各地でコンサート、ディナーショーを中心に精力的に活動を続けています。

六平とボニージャックス
六平が、勝手に「ステージの師匠」として尊敬している大先輩。まだ若い頃、NHK総局演芸番組主幹の故白井康幹氏がボニーに心を学べと引き合わせてくれたのが縁でした。そして故郷の人情、四季、生活のたたずまいを好んで唄ってきた六平が、何度もライブに通ったのがボニージャックスの舞台でした。後年メンバーとお話しが出来るようになって、更にメンバーのすがすがしさを感じています。数年前久々に、ボニージャックスのコンサートを観せていただいて、改めて六平の音楽魂に火を点けてくれた大恩人です。





1948年4月11日生まれ。早稲田大学卒業。在学中フォークソングクラブのメンバーで結成された「ザ・リガニーズ」に参加。「海は恋してる」が大ヒット。
「シュリークス」(神部和夫・山田嗣人・所太郎)に加わる。
1970年、「さらば」がヒット。
その後、ラジオパーソナリティーを経て、テレビ朝日「スーパーモーニング」にて政治と社会的大事件レポーターを担当。
所太郎
六平と所太郎
わさびーず全盛期に、深く交流がありました。編曲をしていただいたり、ライブについてアドバイスをいただいたり、わさびーずのステージを作り上げてくれた恩人です。堀六平作詞、所太郎作曲「囲炉裏火」という名作もあります。「五人目のわさびーず」といったら申し訳ありませんが、六平は大切なメンバーだと思っています。



和泉家志ん治

信州・松本生まれ。 幼い頃は神童と呼ばれ、小、中、高は秀才と周囲から期待をされ大学進学においては、やがて大臣などど噂をされつつ明治大学落語研究会へ入ったとたんに、ただの人・・・・・・。
和泉家志ん治
しかし、そこが人生の面白さ、当時落研の顧問であった「故 金原亭馬の助」との出会いが「志ん治」の運命を決定づけたと言っても過言ではなく、在学中より師匠のもとで修業。師匠亡き後、故郷信州に活動の場を求め落語公演の他、ラジオ、テレビCM、DJ、レポーター等に出演。タクシーのCMでは「フジテレビCM大賞」を受賞。また、各種イベント・結婚披露宴の司会、PTA・企業・各種団体等での「笑い」についての講演会等々、気軽に愛され親しまれるよう、笑顔と共に各地を訪れている毎日です。

六平と和泉家志ん治
師匠は、高校の1年先輩です。ポールアンカの「ダイアナ」をウクレレで唄ってくれ、六平は大影響を受けました。ゲストがやたら多くて、且つ個性的な面々で。これを取り仕切れるのは師匠しかいないとお願いしました。頼れる先輩であります。


友情出演

三浦 久

辰野町出身。1945年生れ。
60年代、カルフォルニアでボブ・ディランを聞き歌いはじめる。70年代、京都でフォークシンガーとして活動を開始。「あのねのね」「河島英五」と共に「京都レコード」に参加。『私は風の声を聞いた』など4枚のアルバムをリリース。80年代、音楽活動を中止して信州に戻る。1989年天安門事件をきっかけに活動を再開。以後、『セカンド・ウインド』『メッセージ』『ガビオタの海』『カムサハムニダイ・スヒョン』の4枚のCDをリリース。2004年12月19日、9作目のアルバム『千の風』をリリース。
長野県諏訪清陵高等学校卒業、カリフォルニア大学卒業、京都大学大学院修士課程修了
元信州豊南短期大学教授 現在は信州大学英語講師
著書に『追憶の60年代カリフォルニア』(平凡社新書)、翻訳書に『ディランは語る』『ディラン/詩の研究』」など。
三浦 久
六平と三浦 久
「信州、60歳代、プロのフォークシンガー」という共通項で、六平と彼らとは旧知の間柄ですが、音楽の方向性や手法は異っていました。お互いが熟年となり、更に交流が深くなったことで「3人の会」(仮称)というジョイントライブを企画中です。うまくすれば、1月23日に発表できるカモです。


加奈崎芳太郎

1949年(昭24年)2月9日、北海道生まれ。
1970年(昭45年)東京・渋谷にあった伝説のフォーク喫茶「青い森」と「ジァン・ジァン」のオーディションに合格。仲井戸麗市と、「古井戸」を結成。泉谷しげる、RCサクセションらと出会い、本格的な音楽活動のスタートを切る。
1972年(昭47年)エレック・レコードよりVol.1アルバム『古井戸の世界』発売。『さなえちゃん』シングルヒット。昭和1974年(昭54年)「古井戸」解散、ソロ活動スタート。通算、21枚のアルバムを発表。
1997年(平9年)諏訪に移住。
2009(平21年)2月に22作目のアルバム「Piano?Forte」発売(ポニーキャニオン)。8月、岡谷カノラホールにて記念ライブ開催。10月、泉谷しげるとの共著「ぼくの好きなキヨシロー」を上梓。
加奈崎芳太郎
六平と加奈崎芳太郎
「信州、60歳代、プロのフォークシンガー」という共通項で、六平と彼らとは旧知の間柄ですが、音楽の方向性や手法は異っていました。お互いが熟年となり、更に交流が深くなったことで「3人の会」(仮称)というジョイントライブを企画中です。うまくすれば、1月23日に発表できるカモです。


手仕事屋きち兵衛

1949年12月31日、松本市生まれ。
長野県彫刻工芸展の奨励賞を異例の20代で受賞する。
1986年、NHK新ラジオ歌謡に「ねがい星」「雨」「ふる里景色」「木更津にて」などが採用され作家デビュー。自らが歌う「わすれ雪」が採用され、シンガーソングライターとしてもデビューし、その素朴な作風と繊細で透明感のある歌声が評判となる。1987年、徳間ジャパンよりファーストアルバム「詩紬(うたつむぎ)」をリリース。以後、テレビドラマの主題歌、愛知県豊橋市立東陽中学校の校歌などを手掛け、音楽活動を続ける。
手仕事屋きち兵衛
1992年、サンフランシスコ市主催のコンサートに「日本人の心」を唄うアーティストとして招待され、日系人のみならず多くのアメリカ人に感銘を与える。その後、表だった音楽活動を休止し木彫刻に専念。1999年、二人の子どもたちの巣立ちを機に再び音楽活動を始める。2枚目のアルバム「風景色」をリリース。7月の松本文化会館での再デビューコンサートは、SBCテレビのスペシャル番組として「手仕事屋きち兵衛?歌・語り遅れてきた吟遊詩人」が放映され、音楽関係者の注目を集めた。続けて「素描画(そびょうが)」「安曇野(あずみの)」「風暦(かぜごよみ)」「風の誘い」のCDアルバムをリリース。
2001年の夏から秋にかけ、北海道から鹿児島までの20数個所でコンサートツアーを成功させる。コンサートや講演活動のほかにも、人気ラジオ番組「テレホン人生相談」(ニッポン放送系全国ネット)にもレギュラー出演。独特な言葉の表現や、語り口には聴く人の心に響き魅力がある。現在安曇野在住。
六平と手仕事屋きち兵衛
独特の歌に定評があるきち兵衛さんは、六平が好きなアーチストの一人です。また彼は彫刻家としても活躍している多彩なアーチストです。六平の高校の後輩でもあり、過去にも何度か共演しています。
今回も、先輩のお誘い(命令)に…仕方なく…イヤイヤ…・喜んで参加します!


吉川団十郎

本名/吉川 昇 (きっかわのぼる)
1948年(昭23)3月10日、宮城県名取市生まれ。
●東北グランプリ大会にてグランプリ「キューピーちゃん」
●全国大会にて入賞・川上賞・キャニオンレコード賞
1975年、同コンテスト。
●東北グランプリ大会にて入賞「ママのお誕生日」
●全国大会にて川上賞
●世界歌謡祭へ出場(日本代表)
吉川団十郎
1976年4月、28歳で芸能界へ(ヤマハプロダクション)。ヒット曲「ああ宮城県」・LPレコード「陽陰者」「田舎者」。
1977年3月、芸能界引退し宮城県に戻る。1981年、陶芸活動を開始(宮城県柴田郡村田町)。
1990年、中国貴州省少数民族の村々を訪問。作曲・執筆活動を始める。
2008年、還暦記念・日本全国作曲の旅をスタート。
六平と吉川団十郎
「わさびーず」がデビューした1975年頃、全国各地からローカル色豊かなフォークシンガーが相次いで登場しました。秋田の「田吾作」「マイペース」、沖縄の「まよなかしんや」「佐渡山豊」、福岡の「海援隊」…そして宮城の「吉川団十郎一座」などが、『田舎ソング』と呼ばれブームとなりました。平成12年4月にNHK長野のテレビ番組「六平と愉快な仲間達」にゲスト出演して以来9年振りの再会です。彼は故郷を愛する作家でもあり、陶芸家としてもその多彩ぶりを発揮しています。






1960年代後半から1970年代に巻き起こった「フォークソングブーム」は、 信州の若者の心にも瞬く間に火を点け、幾つかのフォークソング団体が 生まれました。「サタデー・フォーク・アソシエーション」(SFA)からは「わさびーず」が登場し「わさびーず」が上京後に「信濃フォークユニオン」 (SFU)が結成され「むじょんじょん」「万華鏡」「二日酔い」などが結成されました。彼らは非常に高いレベルの作品と演奏でそれぞれのグループがワンマンコンサートを開催するほどの活躍でした。片や、北信地区を代表するのが「俄(にわか)」です。彼らが昨夏34年振りに再結成された事を知り、今回のステージで「信州70年代フォーク」を復活させようという呼びかけをしたところ、当時と同じメンバーではないものの各グループのリーダーを中心に「大復活祭」が実現しました。そして、「わさびーず」も40年前に結成した当時のメンバー「耳塚秀三郎」「島方久人」の参加が決定しました。「元祖・わさびーず」35年ぶりの再会です。

元祖わさびーず
1969年、松本県ヶ丘高校の同級生3人で結成。
堀六平(vo、cho、ag、harp、オカリナ他)
耳塚秀三郎(vo、cho、ag)
島方久人(vo、cho、wb)
元祖わさびーず

俄組

俄プロフィール
大枝泰彰   ギター、ピアノ、ヴォーカル
中島ひでき  ギター、フルート、ヴォーカル
宮川良明   ギター、ヴォーカル 

1972年、SBCラジオ主催のフォークコンテストで優勝した後、1975年に日本フォノグラム(フィリップスレコード)から「雨のマロニエ通り」でメジャーデビュー。 1枚のLPと2枚の シングル盤を発表した。 デモテープの録音では、山下達郎や伊藤銀次、松任谷正隆らが担当。最終的には大野克夫が編曲した。
巧みなアコースティックギターサウンドが真骨頂のバンドだったが、翌年に突然解散。 8ヶ月間の短い活動の幕を閉じた。
俄組
俄組プロフィール
メンバー
宮川良明 Vo・Gt担当 1955年生 俄メンバー
中島ひできVo・Gt担当 1954年生 俄メンバー
本間浩次 Co・Gt担当 1958年生 
依田万次郎 bas 担当 1961年生
俄のメンバーの一人「大枝泰彰」が東京在住の為、 長野市在住の「宮川良明」「中島ひでき」を中心に「俄組」として活動。「俄の完全コピーバンドです。」と仰っている。宮川良明氏はフォークシンガー宮川真衣さんのお父さん。

むじょんじょんFBフォーエバー

む・じょんじょん プロフィール
1969年に松本で、「水城英明」「井出」「中谷」3名で結成。1970年「水城英明」が上京した為に東京にて「鳥羽弘純」と 二人組の「む・じょんじょん」となる。
当時、長野の城山公園でコンテストがあり「わさびーず」と一緒に挑戦し、 わさびーず」が優勝する。
解散後「水城英明」は、「はしだのりひことエンドレス」のメンバー として活躍したが、現在は音楽活動からは退いています。

むじょんじょんFBフォーエバー プロフィール
一方「鳥羽弘純」は、永平寺での修行に入る。修行を終えて曹洞宗自性院の 副住職(現在は住職)を務めながら 「むじょんじょんファミリーバンド」を結成。
その後グループ名を「とりのはねスーパーバンド」とするも今回の「六平の「一声一大」 フォーク祭り」を機に「むじょんじょんFBフォーエバー」と改名。
むじょんじょんFBフォーエバー
今回のメンバーは、
鳥羽弘純(Vo エレアコ)
三枝政司(Vo エレアコ)
中村正彦(Vo)
中村ゆき江(Vo タンバリン)
猪瀬勝仁(Eベース)
飯島恵道(キーボード)

二日酔い

昭和48年(1973年)、
塩尻高校のフォークソングクラブの先輩後輩
古畑賢一 Vo,AG
根津理  Vo,AG
樋口広志 Vo,AG
の三人で『二日酔い』を結成。
その後、古畑氏脱退の後上原俊(Key)が参加。
歌とギャグが半々という異色のバンドであった。楽曲もシリアス系ギャグ系が半々を占めていた。
昭和52年(1977年)松本市民会館にてワンマンコンサートを開催。当時のアマチュア動員記録を塗り替える。
今回のメンバーは、樋口広志を中心に・・当日のお楽しみという事で。
二日酔い

万華鏡
1974年、宮渕と赤廣で「万華鏡」を結成。ポプコン、ビクター、コカコーラ、TBS等数々のコンテスト等で、入賞、優勝、作曲賞、歌唱賞等。インディーズ版シングル「晩秋の雨」発表。長野県献血の歌・テレビ松本創立記念ソンググランプリ。ライブ活動、企業CMソング、社歌など多数。最近はソロ活動が中心となり、企業の創立記念ソング製作や小学校クラスの歌のCD製作などで活躍。宮渕泰秀(lvo、g、kb)、赤廣伸夫(vo、g)、松本和宏(vo、bass)、上松健一(bass、cho)。初期メンバーの上松健一氏は、アルパ奏者「上松美香」さんのお父さん。
万華鏡