2010年1月23日 松本市民芸術館にて活動40周年の記念イベントを開催しました![]() このイベントには多くのゲストの方々に出演していただきました。
|
![]() 早稲田大学グリークラブ出身者を中心に ●西脇久夫(にしわきひさお) トップテナー 宮城県塩竃市生まれ ●吉田秀行(よしだひでゆき) セカンドテナー 埼玉県鳩山町生まれ ●鹿島武臣(かしまたけおみ) バリトン 京都府舞鶴市生まれ ●玉田元康(たまだもとやす) バス 旧満州安東市生まれ |
![]() |
![]() 1948年4月11日生まれ。早稲田大学卒業。在学中フォークソングクラブのメンバーで結成された「ザ・リガニーズ」に参加。「海は恋してる」が大ヒット。 「シュリークス」(神部和夫・山田嗣人・所太郎)に加わる。 1970年、「さらば」がヒット。 その後、ラジオパーソナリティーを経て、テレビ朝日「スーパーモーニング」にて政治と社会的大事件レポーターを担当。 |
![]() |
![]() 信州・松本生まれ。 幼い頃は神童と呼ばれ、小、中、高は秀才と周囲から期待をされ大学進学においては、やがて大臣などど噂をされつつ明治大学落語研究会へ入ったとたんに、ただの人・・・・・・。 |
![]() |
しかし、そこが人生の面白さ、当時落研の顧問であった「故 金原亭馬の助」との出会いが「志ん治」の運命を決定づけたと言っても過言ではなく、在学中より師匠のもとで修業。師匠亡き後、故郷信州に活動の場を求め落語公演の他、ラジオ、テレビCM、DJ、レポーター等に出演。タクシーのCMでは「フジテレビCM大賞」を受賞。また、各種イベント・結婚披露宴の司会、PTA・企業・各種団体等での「笑い」についての講演会等々、気軽に愛され親しまれるよう、笑顔と共に各地を訪れている毎日です。 |
六平と和泉家志ん治
師匠は、高校の1年先輩です。ポールアンカの「ダイアナ」をウクレレで唄ってくれ、六平は大影響を受けました。ゲストがやたら多くて、且つ個性的な面々で。これを取り仕切れるのは師匠しかいないとお願いしました。頼れる先輩であります。
友情出演
![]() 辰野町出身。1945年生れ。 60年代、カルフォルニアでボブ・ディランを聞き歌いはじめる。70年代、京都でフォークシンガーとして活動を開始。「あのねのね」「河島英五」と共に「京都レコード」に参加。『私は風の声を聞いた』など4枚のアルバムをリリース。80年代、音楽活動を中止して信州に戻る。1989年天安門事件をきっかけに活動を再開。以後、『セカンド・ウインド』『メッセージ』『ガビオタの海』『カムサハムニダイ・スヒョン』の4枚のCDをリリース。2004年12月19日、9作目のアルバム『千の風』をリリース。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、カリフォルニア大学卒業、京都大学大学院修士課程修了 元信州豊南短期大学教授 現在は信州大学英語講師 著書に『追憶の60年代カリフォルニア』(平凡社新書)、翻訳書に『ディランは語る』『ディラン/詩の研究』」など。 |
![]() |
![]() 1949年(昭24年)2月9日、北海道生まれ。 1970年(昭45年)東京・渋谷にあった伝説のフォーク喫茶「青い森」と「ジァン・ジァン」のオーディションに合格。仲井戸麗市と、「古井戸」を結成。泉谷しげる、RCサクセションらと出会い、本格的な音楽活動のスタートを切る。 1972年(昭47年)エレック・レコードよりVol.1アルバム『古井戸の世界』発売。『さなえちゃん』シングルヒット。昭和1974年(昭54年)「古井戸」解散、ソロ活動スタート。通算、21枚のアルバムを発表。 1997年(平9年)諏訪に移住。 2009(平21年)2月に22作目のアルバム「Piano?Forte」発売(ポニーキャニオン)。8月、岡谷カノラホールにて記念ライブ開催。10月、泉谷しげるとの共著「ぼくの好きなキヨシロー」を上梓。 |
![]() |
![]() 1949年12月31日、松本市生まれ。 長野県彫刻工芸展の奨励賞を異例の20代で受賞する。 1986年、NHK新ラジオ歌謡に「ねがい星」「雨」「ふる里景色」「木更津にて」などが採用され作家デビュー。自らが歌う「わすれ雪」が採用され、シンガーソングライターとしてもデビューし、その素朴な作風と繊細で透明感のある歌声が評判となる。1987年、徳間ジャパンよりファーストアルバム「詩紬(うたつむぎ)」をリリース。以後、テレビドラマの主題歌、愛知県豊橋市立東陽中学校の校歌などを手掛け、音楽活動を続ける。 |
![]() |
1992年、サンフランシスコ市主催のコンサートに「日本人の心」を唄うアーティストとして招待され、日系人のみならず多くのアメリカ人に感銘を与える。その後、表だった音楽活動を休止し木彫刻に専念。1999年、二人の子どもたちの巣立ちを機に再び音楽活動を始める。2枚目のアルバム「風景色」をリリース。7月の松本文化会館での再デビューコンサートは、SBCテレビのスペシャル番組として「手仕事屋きち兵衛?歌・語り遅れてきた吟遊詩人」が放映され、音楽関係者の注目を集めた。続けて「素描画(そびょうが)」「安曇野(あずみの)」「風暦(かぜごよみ)」「風の誘い」のCDアルバムをリリース。 2001年の夏から秋にかけ、北海道から鹿児島までの20数個所でコンサートツアーを成功させる。コンサートや講演活動のほかにも、人気ラジオ番組「テレホン人生相談」(ニッポン放送系全国ネット)にもレギュラー出演。独特な言葉の表現や、語り口には聴く人の心に響き魅力がある。現在安曇野在住。 |
![]() 本名/吉川 昇 (きっかわのぼる)
1948年(昭23)3月10日、宮城県名取市生まれ。 ●東北グランプリ大会にてグランプリ「キューピーちゃん」 ●全国大会にて入賞・川上賞・キャニオンレコード賞 1975年、同コンテスト。 ●東北グランプリ大会にて入賞「ママのお誕生日」 ●全国大会にて川上賞 ●世界歌謡祭へ出場(日本代表) |
![]() |
1976年4月、28歳で芸能界へ(ヤマハプロダクション)。ヒット曲「ああ宮城県」・LPレコード「陽陰者」「田舎者」。 1977年3月、芸能界引退し宮城県に戻る。1981年、陶芸活動を開始(宮城県柴田郡村田町)。 1990年、中国貴州省少数民族の村々を訪問。作曲・執筆活動を始める。 2008年、還暦記念・日本全国作曲の旅をスタート。 |
1960年代後半から1970年代に巻き起こった「フォークソングブーム」は、 信州の若者の心にも瞬く間に火を点け、幾つかのフォークソング団体が 生まれました。「サタデー・フォーク・アソシエーション」(SFA)からは「わさびーず」が登場し「わさびーず」が上京後に「信濃フォークユニオン」 (SFU)が結成され「むじょんじょん」「万華鏡」「二日酔い」などが結成されました。彼らは非常に高いレベルの作品と演奏でそれぞれのグループがワンマンコンサートを開催するほどの活躍でした。片や、北信地区を代表するのが「俄(にわか)」です。彼らが昨夏34年振りに再結成された事を知り、今回のステージで「信州70年代フォーク」を復活させようという呼びかけをしたところ、当時と同じメンバーではないものの各グループのリーダーを中心に「大復活祭」が実現しました。そして、「わさびーず」も40年前に結成した当時のメンバー「耳塚秀三郎」「島方久人」の参加が決定しました。「元祖・わさびーず」35年ぶりの再会です。
![]() 1969年、松本県ヶ丘高校の同級生3人で結成。 堀六平(vo、cho、ag、harp、オカリナ他) 耳塚秀三郎(vo、cho、ag) 島方久人(vo、cho、wb) |
![]() |
![]() 俄プロフィール 大枝泰彰 ギター、ピアノ、ヴォーカル 中島ひでき ギター、フルート、ヴォーカル 宮川良明 ギター、ヴォーカル 1972年、SBCラジオ主催のフォークコンテストで優勝した後、1975年に日本フォノグラム(フィリップスレコード)から「雨のマロニエ通り」でメジャーデビュー。 1枚のLPと2枚の シングル盤を発表した。 デモテープの録音では、山下達郎や伊藤銀次、松任谷正隆らが担当。最終的には大野克夫が編曲した。 巧みなアコースティックギターサウンドが真骨頂のバンドだったが、翌年に突然解散。 8ヶ月間の短い活動の幕を閉じた。 |
![]() 俄組プロフィール メンバー 宮川良明 Vo・Gt担当 1955年生 俄メンバー 中島ひできVo・Gt担当 1954年生 俄メンバー 本間浩次 Co・Gt担当 1958年生 依田万次郎 bas 担当 1961年生 |
俄のメンバーの一人「大枝泰彰」が東京在住の為、 長野市在住の「宮川良明」「中島ひでき」を中心に「俄組」として活動。「俄の完全コピーバンドです。」と仰っている。宮川良明氏はフォークシンガー宮川真衣さんのお父さん。 |
![]() む・じょんじょん プロフィール 1969年に松本で、「水城英明」「井出」「中谷」3名で結成。1970年「水城英明」が上京した為に東京にて「鳥羽弘純」と 二人組の「む・じょんじょん」となる。 当時、長野の城山公園でコンテストがあり「わさびーず」と一緒に挑戦し、 わさびーず」が優勝する。 解散後「水城英明」は、「はしだのりひことエンドレス」のメンバー として活躍したが、現在は音楽活動からは退いています。 むじょんじょんFBフォーエバー プロフィール 一方「鳥羽弘純」は、永平寺での修行に入る。修行を終えて曹洞宗自性院の 副住職(現在は住職)を務めながら 「むじょんじょんファミリーバンド」を結成。 その後グループ名を「とりのはねスーパーバンド」とするも今回の「六平の「一声一大」 フォーク祭り」を機に「むじょんじょんFBフォーエバー」と改名。 |
![]() |
今回のメンバーは、 鳥羽弘純(Vo エレアコ) 三枝政司(Vo エレアコ) 中村正彦(Vo) 中村ゆき江(Vo タンバリン) 猪瀬勝仁(Eベース) 飯島恵道(キーボード) |
![]() 昭和48年(1973年)、 塩尻高校のフォークソングクラブの先輩後輩 古畑賢一 Vo,AG 根津理 Vo,AG 樋口広志 Vo,AG の三人で『二日酔い』を結成。 その後、古畑氏脱退の後上原俊(Key)が参加。 歌とギャグが半々という異色のバンドであった。楽曲もシリアス系ギャグ系が半々を占めていた。 昭和52年(1977年)松本市民会館にてワンマンコンサートを開催。当時のアマチュア動員記録を塗り替える。 今回のメンバーは、樋口広志を中心に・・当日のお楽しみという事で。 |
![]() |
![]() 1974年、宮渕と赤廣で「万華鏡」を結成。ポプコン、ビクター、コカコーラ、TBS等数々のコンテスト等で、入賞、優勝、作曲賞、歌唱賞等。インディーズ版シングル「晩秋の雨」発表。長野県献血の歌・テレビ松本創立記念ソンググランプリ。ライブ活動、企業CMソング、社歌など多数。最近はソロ活動が中心となり、企業の創立記念ソング製作や小学校クラスの歌のCD製作などで活躍。宮渕泰秀(lvo、g、kb)、赤廣伸夫(vo、g)、松本和宏(vo、bass)、上松健一(bass、cho)。初期メンバーの上松健一氏は、アルパ奏者「上松美香」さんのお父さん。 |
![]() |